木綿製造の仕事

工場で製造業をしていた時の話です。
この仕事に就く前は、日々頭をフル回転させるような業務(結果的にはどの仕事もそうでした)をしていたのもあり、少し疲れていたいたようで、なるべく人と話さず(笑)黙々とこなす仕事を探していました。そんな私の目に留まった求人が木綿の製造です。面接兼、見学に行くと、工場内は狙い通り、機械音が大きすぎて、会話もままならない状況でした。これはいいかも、と思い早速働くことになりました。

工場では、糸を染める→糸を干す→糸をボビンに巻く→整経(たて糸を巻く)→織る、という流れで木綿を製造します。
私は主に、染められた糸を巻く工程を担当していました。当初、頭を使わず体を動かして…などと都合の良い解釈をしていましたが、実際には機械の調節をしたり、たて糸を巻く段階で必要な糸がそろっている必要があるので、何色が何個というように事前に準備したり、さらには必要な色が染められてあるのか、それらに不良なものはないのか、を把握する必要がありました。製品の柄はたて糸を巻く段階で決まります。そこが間違っていたら大量の不良品を出すことになるので、特に慎重になりました。結果的に、準備やそれぞれの柄に必要な糸の数を、苦手な計算をしながら算出し、メモ用紙はいつもひっ算だらけでした。

手や服(私服でした)は汚れるし、暑いし寒いという厳しい環境下ではありましたが、よかったこともありました。それは17時のベルの音と共に一目散に帰られることです。おばあさん達は自転車で通っていましたが、もうその帰宅準備のはやさといったら、ベルが鳴りやむ(おそらく1分間)頃には、工場には誰もいない状態で、おばあさんたちは自転車にまたがっています。帰り際の戸締り、タイムカードを押すなどの連係プレーは木綿製造のどの工程より鮮やかで無駄がなくスマートでした。定時前に仕事の依頼をすることは御法度である暗黙のルールがあり「また明日でええに」感が全体的に漂う、それは給料とは裏腹に優良企業のようでした。夕方の主婦は忙しいのです。

工場内は空調がないので、夏は40度に達し、冬は何度か忘れましたが耳当てをして登山用の靴下を履いて対策していましたが今思い返すと、平和で楽しいこともありました。10時とお昼と15時の休憩はみんなでストーブを囲み(冬季)、さつまいもを焼いたり、餅を焼いたり、とにかく何かを焼いて食べたり機械音に負けない声量でしゃべったりして過ごしました。夏はスイカをCMのワンシーンのように大胆に野外で食べました。私を含む3人以外は、おばあさんで近所に住んでおり、お昼休憩は自転車で帰っていきます。何故か仕事より何かを食べた記憶のが鮮明に残っています。冷凍ミカンもよく食べたっけ。

休憩中に蝶々や大きな蜘蛛を誰かが見つけたと言えば、みんなで見に行きあれこれ言いながら観察しました。私がイメージしていたより数倍、おばあさんたちはパワフルで無邪気でした。みんなで汗水流しながら、見た目も気にせず働き、よく食べ、ヘルシーな職場だったな、と懐かしく思います。この経験から、楽な仕事などなく、どの仕事も辛いし面白いのです。

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